細野晴希の東亜学園高校時代は甲子園出場ならず!最速140キロの技巧派投手!

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細野晴希さんは東亜学園高校時代は都ベスト4が最高で、甲子園には出場ができていません。

高校2年時の頃はストレートは120~125キロの技巧派投手で、プロ注目レベルの選手ではありませんでした。

ただ、高校2年夏が終わった頃に、球速を挙げる為に、杉内俊哉さんを参考にフォーム改造を行い、最終的に140キロを投げる投手にまで成長を遂げました。

当記事では、そんな細野晴希さんの

  • 高校時代の成績
  • 高校時代のエピソード

について書きました。

目次

細野晴希の東亜学園高校時代の成績は?

引用:エキサイトブログ

東亜学園高校時代は、高校1年夏から試合に出場しています。

ただ、都ベスト4が最高で、甲子園に出場されていません

では、細野晴希さんの東亜学園高校時代の成績を見て行きましょう。

高校1年の夏

  • 3回戦、都立志舎戦で初登板初先発をし、7回 2失点で初勝利
  • 準々決勝、修徳戦で9回から登板し無失点
  • 準決勝、東海大高輪台戦で3対5で敗戦

高校2年の夏

  • 4回戦、広尾戦で8回無失点で勝利
  • 準々決勝、帝京戦で5回1/3を無失点も6-10で敗戦

高校2年の秋

  • 2年秋の大会からエースを務める
  • 4試合に登板し、2試合に先発
  • 20回を投げ、14失点・17奪三振・防御率5.40を記録
  • 準々決勝の国学院久我山戦では4回無失点の好投をし、逆転勝利に貢献
  • 都ベスト4まで進出し、この活躍により都選抜に選出

高校3年の春

  • 3回戦、日大二戦で4対5で負ける
  • 2試合に登板し、18回を投げ、防御率4.50

高校3年の夏

初戦の2回戦、東京実業戦に、4回から登板し、6回1失点で4連続含む8奪三振の好投し、6回に自己最速を1キロ更新する140キロを2球計測します。

ただ、チームは1対3で敗戦します。

大会後、細野晴希さんは

いまのままでは通用しない。大学で4年間きっちり鍛えれば、プロの道も開けると思う

引用:ドラフト会議

と大学進学を明言されています。

ちなみに、こちら試合後に最後のキャッチボールを行ってる細野晴希さんです。

引用:エキサイトブログ

ちょっと目に涙っぽいものが見えますね。

やはり、初戦敗退はかなり悔しいんでしょうね。

そして、こちらが一礼をし、グランドを去る細野晴希さんになります。

お辞儀の仕方に上品さを感じますね。

東亜学園高校野球部とは?

東亜学園高校の野球部は夏の甲子園に3回出場しています。

その時の成績は

  • 1986年、初出場 初戦の2回戦で敗退
  • 1987年、ベスト4進出
  • 1989年、2回戦で敗退

出身のプロ野球選手は

  • 川島堅さん 高校卒業後に1987年ドラフト1位で広島入り
  • 小美濃武芳さん 東洋大学卒業後に1987年ドラフトドラフト4位で中日入り

ちなみに、東亜学園高校は、2023年の夏の大会で34年ぶりの甲子園をかけ、決勝まで進み、1点リードの9回にあと1アウトまで迫るも、7点を奪われ、6対12で共栄学園に負けました。

準決勝の城西戦には、細野晴希さんも応援に駆け付け

うれしいですね。本当に甲子園に行ってほしいです

引用:スポーツ報知

とコメントされています。

細野晴希の東亜学園高校時代のエピソードは?

引用:エキサイトブログ

続いて、細野晴希さんの東亜学園高校時代のエピソードを見て行きましょう。

フォーム改造により最速140キロに

高校2年の最初の頃は、ストレートが120~125キロで、変化球は100キロ前後のカーブ・チェンジアップが武器でした。

コンビネーションと上手な牽制が武器の技巧派投手でしたが、強豪校の打者を圧倒できる程ではなく、プロに注目されるレベルの投手ではありませんでした。

高校2年の夏が終わり、スピードアップの為に、杉内俊哉さんを参考にフォーム改造を行いました。

その事で、リリース瞬間だけ力を入れれる様になり、今まで以上に腕が振れだし、球速が上がり、スライダーも生きていくようになり出します。

その後、3年春大会は不調で、フォームを見直し、右足を大きく上げる事を意識する様になります。

最終的に、ストレートは140キロを記録し、変化球は130キロ台のスプリット・カットボールに110キロ台のスライダー・チェンジアップ・カーブを投げれる事ができるプロ注目投手となりました。

U17代表に選出され、投手としてレベルアップ

U17代表メンバーに選出され、2018年12月15日から27日までのキューバでの親善試合に参加します。

この大会内で日大三高の佐藤英雄さんとバッテリーを組んだ事で、ファウルを打たせ、カウントを整える配給を要求され、内外角と高低の揺さぶりの有効性を学び、スプリットを昔より上手に使える様になり、投球の幅が広がりました。

代表メンバーに選出された当初は

球もそんなに速くなかったですし、いいピッチャーも他にいたのでそんなに自分がいいピッチャーだと思っていなかった

引用:高校野球ドットコム

と思ってたそうです。

ただ、同じ左腕の中村晃太朗さんなどに刺激を受け、自分自身が東亜学園の中心選手である事を実感し、エースの自覚が出て来ました。

細野晴希さんはキューバ打線相手に7回2/3を投げ、自責点0の好投をされました。

練習内容まとめ

細野晴希さんは、牽制を得意になったのは

東亜学園高校の上田助監督に「走者は走りたいと思うとそれが動作に出るから観察してみろ」と言われ、細野晴希さんが走者を観察し続ける事で、走ろうと思ってる動作が分かるようになったから

となります。

上田先生から走者は走りたいと思うと力みが出る。それは動作になって現れるからベンチからずっと観察してみろと

確かに一塁走者は走りたいと思うと、動作に表れているんです。走らないときと比べてもその違いはすごい表れていました。

引用:高校野球ドットコム

さらに、細野晴希さんは

  • 普通より小さいバットでシャードピッチングをし、腕の振りが内回りにする癖をつける
  • 体の開きを抑える為、半身でのキャッチボールを行う

と自身で考えた練習を行っています。

細野晴希の小・中学校時代の成績は?

引用:X

細野晴希さんの小・中学校時代ですが

加住小学校2年時から交友ビクトリーズで野球を始めます。

小学校では、投手と一塁手を務めています。

東海大菅生中学校時代は軟式野球部に所属し、3年夏に都大会ベスト4まで進出します。

以上が、細野晴希さんの高校時代に関する記事ですね。

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