東山紀之の母親の顔写真は?NHK職員用理髪店での勤務がきっかけでジャニーズ入り!

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東山紀之さんの母親は理容師をされています。

さらに、母親がNHK職員専用の理髪店に勤務してて、そこで「レッツゴーヤング」の公開収録のチケットを貰い、見に行った帰りにジャニー喜多川さんにスカウトをされています。

そんな母親はかなりしつけに厳しく、心が優しい方でした。

母親はバブル時代の末期の自身の店を開業し、東山紀之さんの将来を考え、複数マンションを購入するも、バブルが崩壊し、億単位の借金を背負ってしまいます。

その借金は、東山紀之さんが肩代わりし、7~8年で完済されたそうです。

当記事では、そんな母親の情報やエピソードについて書きました。

東山紀之さんと南野陽子さんとのエピソードはこちらです。

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目次

東山紀之の母親の顔写真は?職業は理容師!

引用:Youtube

東山紀之さんは神奈川県川崎市で生まれ、川崎駅近くの家族で大人のお店が集まる界隈の父方の祖父母の家で暮らしています。

  • 母親 理容師
  • 父親 賭け事が好き・酒乱
  • 父方の祖父 ロシア人の血が入ってる・酒乱

こちらが、母親の顔写真になります。

引用:D-media

父親の借金のせいで母親が借金取りに土下座!

父親の賭け事により、家族は借金取りに追われていました。

そして、東山紀之さんが2021年1月6日の「1周回って知らない話」に出演した時に、東山紀之さんが1歳の時に母親が借金取りに土下座して、畳に包丁が刺さってる光景が未だに頭から離れないそうです。

この時について

東山紀之
何をもってそうなったのかは、記憶にはないけど、よくあるドラマのシチュエーションから考えると母は脅かされていた

とコメントされています。

父親に土下座をし離婚を要求

その後、家族は借金取りから逃げる為に岡山県・愛知県名古屋市を移り住み、その後、東山紀之さんが3歳の時に両親は離婚をしています。

両親が離婚した時は、妹は生まれたばかりでした。

母親は父親に土下座をし

お願いですから、別れて下さい。

と言ったそうです。

その後、母親と妹の3人での生活になりますが、3人での生活について

僕にとってはごく自然な光景であった

引用:スポーツ報知

とコメントされています。

母親・妹との暮らしは貧乏暮らし!

父親と離婚した後は、神奈川県の川崎市のコリアンタウンで暮らし、その後は川崎市幸区の市営団地「市営塚越住宅」に住みます。

2つとも風呂がなく、貧乏な生活を送っていました。

そして、母親は朝から晩まで働いてて、家に帰って来るのは午後8時頃でした。

なので、小学生の東山紀之さんは

  • 近所で一人暮らしをしてて、脳出血の後遺症で体が不自由な母方の祖父を毎夕に銭湯に連れて行って、体を洗ってあげる
  • 妹と交代でご飯とみそ汁を作り、母親の帰りを待つ

と言う生活を送っていました。

ちなみに、2019年8月17日、NHKの「第51回思い出のメロディー」にて、東山紀之さんの思い出の曲「ヨイトマケの唄」を大竹しのぶさんが歌っています。

この歌を聞くと、東山紀之さんは「母親の背中を思い出す」そうです。

再婚相手の父親も酒乱だった!

母親は東山紀之さんが小学校2年生の時に彼氏が出来、小学校4年の時に再婚をしています。

再婚した父親は最初は優しかったですが、段々としつけと称し、子供達に手を挙げる様になります。

その後、父親はお酒の量が増え、理由もなく殴られる様になり、妹さんも母親も殴られています。

ただ、母親は家庭の崩壊を防ぐ為に、東山紀之さんに「お前が悪い」と言ってたそうです。

東山紀之さんは、母親に対し

なぜ酒乱ばかり好きになるのか?

恨んでたそうで、早く家を出たいと思ってたそうです。

その後、東山紀之さんは高校進学時にジャニーズの合宿所での生活を始めます。

その時に、父親と暮らしてる母親と妹が心残りでした。

ちなみに、父親とは東山紀之さんが25歳の時に離婚をされています。

ジャニーズに入ったきっかけは母親の勤務先!

東山紀之さんがジャニーズに入ったきっかけは

1979年の小学校6年時に、母親が渋谷のNHK職員用理髪店で勤務してて、職場でTV番組「レッツゴーヤング」の公開収録のチケットを貰い、それで友人とNHKホールまで収録を見に行き、帰り道で渋谷のスクランブル交差点でジャニー喜多川さんに声をかけられた事

となります。

母親の借金を肩代わり

母親は、バブル経済の末期に

  • 生活を安定させようと、自分の理容店を開業
  • 東山紀之さんの将来を考え、マンションをいくつか購入

と言った事をしましたが、バブルが崩壊してしまい、億単位の借金を背負います。

その借金は東山紀之さんが肩代わりし、7~8年間で返しました。

その時に、東山紀之さんは商売の才能がない母親の血を受け継いでるので、自分は芸事以外の道には進まないと決めました。

ちなみに、バブル時代は1985年~1991年までとなるので、1980年後半から1990年前半頃の出来事でしょうね。

母親の現在は?

母親の現在については不明でした。

2008年12月21日のスポーツ報知の記事にて、家族について母親に電話取材が行われています。

そのため、実母にもあらためて電話で取材。

東山紀之と母親とのエピソードまとめ

引用:Youtube

では、最後に、東山紀之さんと母親とのエピソードを見て行きましょう。

東山紀之さんと母親との絆の深さを感じるエピソードの数々でしたよ。

母親の注意により、深酒もギャンブルもしない

母親は東山紀之さんが大酒飲みの血を引いてないかを心配してて、幼少期から大人にかけて、常に

大人になっても、お酒に飲まれちゃいけないよ

引用:女子自身

と言っていました。

そのお陰で、東山紀之さんはお酒を飲んでも、あまり飲み過ぎないようになってるそうです。

ちなみに、母親にギャンブルもしない様に言われてて、ギャンブルもしないそうです。

しつけに厳しい

母親はしつけに厳しい人となります。

食事作法などで、ビンタは当たり前で、いつも靴ベラで叩かれていました。

さらに、母親に小さい時から料理や裁縫を仕込まれています。

その影響で、ジャニー喜多川さんには最初に魚の食べ方を褒められました。

心が優しい

東山紀之さんは家族で一時期、コリアンタウンに住んでいましたが、母親は韓国や朝鮮の人は全く差別をしない人でした。

母親も戦争で辛い経験をしてるので、在日の人達の環境が他人事とは思えなかったそうです。

思えば、母親も、韓国・朝鮮人を差別する意識をまったくもっていなかった。自身も戦争でつらい経験をしていたし、在日の人々の虐げられた状況は他人事とは思えなかったのだろう

引用:AERAdot.

母親の財布からお金をとった事がバレ、更生

東山紀之さんが10歳の時に、欲しいおもちゃがあり、母親の財布からお金をとり、おもちゃを買いました。

その事が母親にバレて

あんたは知能犯だ。このままだと将来、絶対だめになる

引用:FLASH

と冷静に言われ、そこから悪い事はせずに、今まで以上に母親の手伝いをされるようになりました。

ちなみに、母親の財布からお金をとった時、近所に住んでて、かなり面倒を見てくれてた叔父(母親の兄弟)さんにかなり怒られました。

さらに、叔父さんはその後、42歳で亡くなり、その事がショックで「絶対人の物はとらない」と決めました。

天然

東山紀之さんが小学校2年時に2段ベットから飛び降りて、その時に左手首を骨折します。

その時に、母親が脱臼したと勘違いし、思いっきり引っ張り複雑骨折になりました。

以上が、東山紀之さんの母親に関する記事ですね。

お洒落でいくつになってもスタイリッシュな東山紀之さんなので、母親が理容師と言うのは、割と想像が出来る感じがしました。

ただ、テレビで見る東山紀之さんは、優雅な印象を受けるので、小さい時に貧乏な生活を送ってたと言うのはかなり意外でした。

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