村山吉隆の年齢は何歳?生年月日は1969年生まれの55歳の可能性あり

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村山吉隆さんは、1992年にコナミに入社されています。

コナミにはプログラマーとして入社しますが、入社して間もなく会社からRPGを作る様に指令が出て、その事がきっかけでシナリオを書き始めます。

そして、村山吉隆さんは2001年に「ブルームーン・スタジオ」を設立されています。

そんな村山吉隆さんの年齢ですが、55歳くらいの可能性があります。

当記事では、そんな村山吉隆さんについて書きました。

目次

村山吉隆の年齢は何歳?

引用:X

村山吉隆さんの年齢は公表されていませんでした。

ただ、村山吉隆さんは1992年に大学を卒業後にコナミに入社されてる可能性があります。

1992年、大学卒業後にプログラマーとしてコナミ株式会社入社

引用:ピクシブ百科事典

この頃から、村山吉隆さんが1992年に大学を卒業したと考えると、1969年生まれの可能性があります。

なので、村山吉隆さんの年齢は55歳くらいの可能性がありますね。

ちなみに、2021年5月11日の「エンジニアtype」の記事内で、村山吉隆さんは自身の年齢についていい歳である事を話されています。

僕たちもいい歳になったから、そろそろ自分の好きなものを作りたいし、作らなきゃいけないよね

みんなもういい歳なんだから、こういうことはやれるうちにやっておかないと

村山吉隆の動画は?

こちら、村山吉隆さんの2017年8月31日の動画です。

村山吉隆さんは作業中に無意志に喋ってしまう事があるそうです。

そして、動画内で、村山吉隆さんは作業で行き詰った時に、床に寝転がり瞑想を行うユニークな話が紹介されています。

場合によっては、数時間も瞑想を行う事もあるそうです。

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村山吉隆の経歴は?

引用:X

以下が、村山吉隆さんの経歴になります。

1992年
コナミ株式会社入社

 

1996年
プレイステーション用ソフト「幻想水滸伝」のディレクション、
ゲームデザイン、シナリオを担当

「幻想水滸伝アンソロジー」に漫画原案を提供

 

1999年
プレイステーション用ソフト「幻想水滸伝II」のディレクション、
ゲームデザイン、シナリオを担当

 

2000年
プレイステーション用ソフト「幻想水滸外伝 Vol.1」の
シナリオ、システム原案を担当

 

2001年
プレイステーション用ソフト「幻想水滸外伝 Vol.2」の
シナリオ原案を担当

GameBoyAdvance用ソフト
「幻想水滸伝 カードストーリーズ」のシナリオ原案と、
カードゲームシステムの原案作成を担当

プレイステーション2用ソフト「幻想水滸伝III」の
ディレクション、ゲームデザイン、シナリオを担当

 

2002年
㈱コナミTYO退社

 

2005年 プレイステーション2用ソフト「ツキヨニサラバ」(TAITO)の
プロデュース、ゲームデザイン、シナリオを担当

 

2006年 プレイステーション2用ソフト「転生学園 月光録」(アスミックエース)の
シナリオを担当

 

2007年
電撃魔王(メディアワークス)「転生学園 月光録 朔月の章」の
漫画原作を担当

「転生学園 月光録 トレーディングカード」の
小説を担当

「転生学園 月光録 ドラマCD」の
シナリオを担当

 

2009年
某社RPG(未発売)のメインシナリオを担当

 

2010年
電撃マ王(アスキーメディアワークス)
「マジック・ザ・ギャザリング 燃え尽きぬ炎」の脚本担当

 

2017年
アライアンス・アライブ(フリュー)
メインシナリオ担当  インタビュー動画

Project PARALLEL(KLab)
世界観設定協力

 

2018年
無双Orochi3 (コーエーテクモゲームズ)
メインシナリオ原作

 

2020年
百英雄伝 制作開始
ゲームデザインとシナリオ担当

引用:BLUE MOON STUDiO

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学生時代やコナミ入社後のエピソードは?

村山吉隆さんは、学生時代からファンタジーや群像劇が大好きで、たくさん本を読んでいました。

好きな小説は、今ある通常の世界とは別の法則や価値観などが存在し、その中にいる人達がどう考えてるのかを描いてるものが好きだそうです。

なので、村山吉隆さんのオフィスのデスクの後ろにたくさんのファンタジー小説が並べてあります。

学生時代やコナミ入社後のエピソードは?

村山吉隆さんがゲームを好きになったのは、大学生くらいで、田舎に帰る友人がファミコンを置いて行って、それをやって「こういうの面白いな」と思ったのがきっかけです。

コナミにはプログラマーとして入社しています。

そして、入社して間もない頃に会社から「RPGを作りなさい」と指令が来て、「じゃあ、話は俺が書くか」と言う感じで、ゲームのシナリオを書き始めます。

村山吉隆さんは「RPGならファンタジーかな?」と言った感じで、元々好きなものが仕事に入って来た感じだそうです。

ブルームーン・スタジオを設立

村山吉隆さんは、2001年12月27日に有限会社 ブルームーン・スタジオを設立されています。

この会社は

  • ゲームの企画立案
  • ゲームの仕様書作成
  • ゲームのシナリオ作成
  • コミックなどのシナリオ作成
  • ゲーム制作に関するコンサル

と言った事を行ってる会社です。

以上が、村山吉隆さんに関する記事ですね。

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