NHKアナウンサーの鈴木健二さんですが、妻の名前は榮子さんです。
そんな鈴木健二さんは、家庭ではお嫁さん中心だったそうです。
息子さんがNHKアナウンサーの鈴木健一さん説が出ていますが、デマである可能性があります。
お兄さんは映画監督の鈴木清順さんですが、お嫁さんは48歳年下の崇子さんです。
当記事では、そんな鈴木健二さんの家族について書きました。
鈴木健二(NHK)の嫁(妻)は榮子!
NHKアナウンサーの鈴木健二さんの妻の名前は榮子(えいこ)さんです。
喪主は妻、榮子(えいこ)さん。
引用:読売新聞
そんな鈴木健二さんが妻について話されてる記事ですが
2019年2月26日の産経新聞にて
50歳の時に糖尿病が悪化し、トイレで凄い量の血尿が出たそうですが、当時やってた番組があったので、家族に言わずに番組に臨みました。
その後、かなりしんどい状態で番組収録を終えた後に、お嫁さんに打ち明けて、病院に行かれたそうです。
糖尿病の悪化で、左の腎臓の機能が決定的に損なわれていた。だが、長期間かかわってきた番組を代わってもらえる人はいない。休めば大穴があいてしまう。家族にも告げず、決死の覚悟で収録に臨むことに
やっとのことで3日間で「がん」についての3本の番組の収録を終えた後、家内に打ち明け、翌週の月曜日に病院へ行くことになりました。
さらに、2010年2月26日の記事にて
2006年8月18日に熊本で飛行機を待ってた時に立とうと思っても立てない状態になり、その時一緒にいた妻とタクシーに乗り、病院に行かれたそうです。
診断の結果は、サルモレラ菌による敗血症だったそうです。
平成18年8月18日。熊本で飛行機を待ち、本を読んでいると突然、右の肩から背中にスウッと冷たいモノが走りました。「雨漏りかな」と見上げた次の瞬間、私の体をガクガクと激震が襲いました。立ち上がろうとしても立てず、重いので頭がどーんと床についてしまいました。
一緒にいた家内とタクシーになだれ込み、病院へ。ところが、「十分な治療ができない」と救急車で別の病院の集中治療室へ。
となります。
こちらは、もしかしたら、お嫁さんと熊本に旅行でも行った時のエピソードなのかも?しれませんね。
そんな鈴木健二さんはメディアなどで妻について語ってるものがあまりありません。
それは、2019年3月1日の産経新聞にて、最近のラジオについて話してて、出演者が身内の話ばかりで意味が分からないと言っています。
この事から、鈴木健二さんはメディアなどで家族の話をする事はあまり好きではない方だった可能性があります。
なので、あまり妻についての話をされていなかったのかも?しれませんね。
アナウンサーが大きな声で叫んだり、笑いながら手をたたいたり、ラジオを聴いていても、若い出演者が身内の話をするばかりで、意味がまったく分かりません。
家庭では嫁(妻)が中心だった
1982年の鈴木健二さんの著書の「気くばりのすすめ」にて
と言う事が書かれてるみたいです。
引用::X
鈴木健二さんが愛妻家である事が分かりますね。
兄・鈴木清順の嫁(妻)は48歳年下!
ちなみに、鈴木健二さんの兄は映画監督の鈴木清順さんです。
そんな兄の鈴木清順さんは、2011年6月27日の週刊ポストにて、再婚された事が書かれていました。
再婚相手の妻の情報は
- 小柄でスレンダー
- 上品な和風美女
- 年齢は、2011年6月時点で40歳
- 名前は崇子(たかこ)さん
そんな妻との馴れ初めは
2人は妻が30代半ば頃に出会い、妻が鈴木清順さんのファンだったので、映画の話で盛り上がり、そこから仲良くなりました。
そして、数年前から都内タワーマンションで同棲生活を始めてて、マンション周辺で2人で散歩する姿が目撃されています。
2009年には、映画撮影もかね、鈴木清順さんが高校時代過ごした青森を2人で旅行しています。
この事について、同誌が鈴木清順さんに取材すると
この年で結婚のことを話すなんて…、恥ずかしいんですよ
とコメントされました。
兄の鈴木清順さんは、2017年2月に亡くなっていますが、喪主は妻が務めています。
通夜、葬儀は故人の遺志により近親者のみで執り行われ、喪主は妻、崇子(たかこ)さんが務めた。
引用:サンスポ
ちなみに、兄の鈴木清順さんの前妻は1997年に亡くなっています。
鈴木健二の息子が鈴木健一アナ説はデマ?
NHKアナウンサーの鈴木健二さんに、子供さんがいらっしゃるのかどうか?に関する情報は不明でした。
そんな鈴木健二さんの息子の噂で、NHKアナウンサーの鈴木健一さん説が出ています。
ただ、鈴木健一さんは1971年10月7日生まれで茨城県土浦市出身です。
そして、鈴木健二さんは1960年から東京アナウンス室に勤務し、1966年から1972年まで「こんにちわ奥さん」の司会をされてる事から、鈴木健一さんが生まれた時には東京在住だったのではないでしょうか?
1972年に『こんにちは奥さん』の司会を降板したあとは、教養・バラエティ番組の司会に活躍の場を移し
引用::ウィキペディア
この部分から、鈴木健一さんは息子さんではないと思われます。
しつけに厳しい人だった?
2019年2月28日の産経新聞にて、鈴木健二さんが
あいさつをしない、家族間での会話がない、父親の権威が失墜してる事を頂けない事として話しています。
さらに、女性が電車の中で化粧をしたり、ご飯を食べたりする事も頂けないと話しています。
なので、鈴木健二さんに子供さんがいらっしゃったら、結構しつけに厳しい方だったのかも?しれませんね。
さらに、鈴木健二さんはNHKのアナウンサー時代から食事の時はテレビを消した方がいい事を主張されてて、クビ覚悟でその事を書いたりもしています。
それぐらい家族の時間を大事にされたと言う事でしょうね。
何しろNHK時代から「食事の時くらいテレビを消しなさい!」って主張していた人だから〉
そう、クビになる覚悟で新聞のコラムに書きました。せっかく家族一緒に食事をしているのに、会話をすることもなく、みんながテレビの方を見ている。
なので、鈴木健二さんの家庭では食事にはテレビを消して、家族との団らんの時間を大事にされてたんでしょうね。
鈴木健二の実家は自転車部品の製造・販売業
鈴木健二さんの実家は東京の日本橋の久松町で呉服小物屋を経営されていました。
兄の鈴木清順さんはその時に生まれたそうです。
その事については鈴木健二さんが2019年2月19日の産経新聞のインタビューにて話されています。
代々の江戸っ子です。実家は、東京・日本橋の久松町で呉服小物の店をやっており、6つ上の兄(映画監督の鈴木清順(せいじゅん)、平成29年、93歳で死去)は、そこで生まれています。
実家は1923年9月1日の関東大震災の後に、本所・亀沢町(現在の両国国技館の裏手辺り)で自転車部品の製造・販売業をされました。
そして、母親は心臓が弱い方だったそうです。
私たちは心臓の弱い母を支え、火の手から逃れながら普段なら数分で行ける両国駅まで2時間近くかかってたどりつき、客車の中へ隠れて九死に一生を得ました。
さらに、母方の実家はうなぎ屋をされていましたが、戦争により店はなくなってしまったそうです。
最初のNHKがあった愛宕山(あたごやま)の近くの新宿3丁目に店があり、お客さんや出前の注文はNHKの人が多かったそうです。
以上が、鈴木健二さんの家族に関する記事ですね。
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