ウィル・アイアトンさんですが、15歳から渡米をされています。
高校はハワイの学校に通い、野球をしてて、投手と三塁手のレギュラーでした。
大学はカリフォルニアの学校に通い、野球部に所属しながらも、成績優秀者として表彰されています。
大学卒業後は、フィリピン代表としてWBCにも出場されました。
その後、レンジャースとのマイナー契約・ニューヨークヤンキース勤務をへて、2015年からよしもとで勤務されていました。
その後は、前田健太さんの通訳を3年務めた後、データコーチに就任されています。
そんなウィル・アイアトンさんはドジャース内でも将来有望な人となります。
当記事では、そんなウィル・アイアトンさんについて書きました。
ウィル・アイアトンさんのプロフィールについてはこちらです。
水原一平さんの家族に関する情報はこちらです。
ウィル・アイアトンのwiki風学歴は?
ウィル・アイアトンさんのwiki風学歴を見て来ましょう。
父親が日系アメリカ人で母親がフィリピン人!
ウィル・アイアトンさんは、父親の両親が日本人とアメリカ人の日系アメリカ人で、母親はフィリピン人となっています。
そんなウィル・アイアトンさんは東京で生まれ、15歳まで育っています。
15歳から渡米し、ハワイの高校に進学
15歳から渡米をします。
2007年6月にハワイのミッド・パシフィック高校を卒業します。
元々アメリカで野球がしたかったので、アメリカに行くステップとしてこの高校を選びました。
高校時代は、投手や三塁手でレギュラーでした。
大学時代は成績優秀過ぎて表彰される
大学はカリフォルニア州のメンロー大学の国際ビジネス専攻でした。
2008年~2012年は毎年夏休みのサマー・ベースボールリーグに参加されています。
アメリカでは春シーズンが終わると、解散し自分で夏のチームを見つけないといけなくて、ロサンゼルやアイダホウ州などに派遣されていました。
大学時代は勉学も素晴らしい人で
- 2011年4月、大学3年次のスポーツ部の中で最も成績が高い学生に贈られる「トップ・アカデミック・アスリート賞」を受賞
- 2012年4月、大学全スポーツ部の中で最も成績が高い学生に贈られる「コリス・スチーア賞」を受賞
- 2012年5月、成績4段階中3.91でメンロー大学卒業生の中での最優秀賞を受賞
大学では、勉強を頑張らないと両親に日本に連れ戻されるので、必死に勉強も頑張ってたとか。
さらに、大学自体も成績が良くない生徒には部活をやらせない方針の学校でした。
ウィル・アイアトンのwiki風経歴は?
続いて、ウィル・アイアトンさんの大学卒業してからの経歴を見て行きましょう。
WBCにフィリピン代表で出場
大学卒業時に、IBAF 2012年アジア・カップ フィリピン代表のトライアウトを行う事を知って、受験をし代表入りを決めます。
2012年12月にIBAF 2012年アジア・カップ フィリピン代表で出場し、2012年のWBCにフィリピン代表で背番号「26」で2試合に出場し、台湾戦で打席に立ち、1打数無安打(三塁ゴロ)で終わりました。
台湾にはかなりの大差で負けてしまったそうです。
こちらが、WBC出場時のウィル・アイアトンさんです。
レンジャースとマイナー契約
国際大会での実績が評価を受け、WBC後にレンジャーズとマイナー契約を結びます。
ただ、マイナーでは自身の限界を感じ、1年で現役を引退されています。
レンジャースには2013年2月~9月まで在籍されていました。
ここでは日本人選手の尾中博俊(おなかひろや)さんがいて、ウィル・アイアトンさんも心強かったそうです。
尾中さんは、現在は2018年に兵庫県西宮市に株式会社J&Iを設立し、取締役社長を務め、Eコマース事業・Web制作・紙面制作や野球教室事業などを行っています。
現役引退後はニューヨークタイムス勤務
現役引退後、2012年2月~4月まで田中将大さんのニューヨークタイムスの記事「A Passion to Pitch」の通訳とアシスタントを務め、ピューリッツァー賞を取ったバリー・べーラックさんの元で働きました。
田中将大さんがヤンキースに入団するので、ニューヨークの人達が田中さんに興味を持ってたので、ニューヨークタイムスの人が日本に来て、通訳やアシスタントを探してて、その時ウィル・アイアトンさんは日本にいたので、田中さんの高校のコーチや監督などにインタビューを行い、田中さんをニューヨークに紹介する記事を書いていました。
野球をちょうど辞めた時に、たまたまタイミングよく田中さんがヤンキースに入団した事でオファーが来たそうです。
田中さんの記事がきっかけでニューヨークヤンキースに勤務されました。
ヤンキースとMLBの1チームで、ビデオコーディネーターと編成部門のインターンをされました。
よしもと勤務
2015年から株式会社よしもとクリエイティブ・エージェンシーに勤務されていました。
2015年11月11日の石井一久さんのYoutubeチャンネルにて、よしもとでのこれからの目標について
とコメントされていました。
その時に前田健太さんの通訳のオファーが来て、アメリカに戻り、2016年にドジャーズに入団した前田健太さんの通訳を務めています。
前田健太さんの通訳を3年務めました。
最初の1年はクビにならない為に必死だったそうです。
そして、選手経験を活かし、前田健太さんにデータの説明を行う内に、データ分析に興味を持ち始めます。
ウィル・アイアトンさんは、前田健太さんとは同じ1988年生まれの同じ年です。
さらに、前田健太さんと一緒にキャッチボールをしたり、全力ダッシュをするなどかなり選手に寄り添うサポートをされる珍しい通訳さんとして紹介されていました。
データコーチに転身する
ドジャーズの3Aでデータコーチの応募を知り、前田健太さんの許可を貰い、2019年からマイナーリーグのデータコーチに転身し、選手のデータ分析や操作解析を行っていました。
データコーチは
ドジャーズが先駆けて配置し、その後2018年からマイナーリーグの全チームに配置しています。
第5のコーチで監督・コーチをサポートする役割です。
コーチの中には最新の機器などを苦手な人がいるので、現場でデータ集積装置のセットアップや収集したデータの解析方法などを伝え、コーチ・選手と密にコミュニケーションを取ります。
具体的には、変化球を上手く投げれない投手がいると、その投手の変化球のデータを集め、投手コーチと投手に伝えて、変化球を改善する方法について3人で話し合いを行います。
さらに、指の握り方の改善を本人と確認しながら行ったりもしています。
打撃コーチや投手コーチの中にはまだ最新のテクノロジーを使いこなせない人がいるので、現場で(データ集積装置の)セットアップだとか、集めたデータの解釈の仕方などを伝える役目で、コーチや選手たちと毎日コミュニケーションをとります」
例えばある先発投手が変化球を上手く投げられないとしたら、彼のブルペン投球の際にアイアトン氏がデータ集積装置のトラックマンやラプソード、さらにリリースポイントをチェックするためのスローカメラを設置。そして投手が投げる変化球の回転数や回転軸などのデータを集め、投手コーチ、投手に伝える。
引用:JIJI.COM
編成部に昇格
2020年には実績が認められ、メジャーに昇格し、ドジャーズの編成部に所属し、パフォーマンス・オペレーション・マネージャーとして選手育成・能力開発を担当し、2022年から主任を務めています。
パフォーマンス・オペレーション・マネージャーは、編成部長のフリードマンさんがウィル・アイアトンさんの為に作った役職です。
こちらの仕事内容は
トラックマンなどの先端機器を使い、データ分析を駆使して選手がフィールド上でパフォーマンスを向上させるために必要なサポートをするのが仕事だ。
引用:ナンバーウェブ
となります。
ウィル・アイアトンさんは、編成部ではメインはデータ分析をされてて、山本由伸さんが春のキャンプ入りした時には投球を見ていました。
この時に、山本由伸さんと大谷翔平さんについて
できる限りのサポートをしたい
引用:JIJI.COM
と力強いコメントを残されています。
シーズン中はチームと一緒に行動をされてて、投手・野手の色々なデータ分析やデータ整理・動画解析・サイン交換機器「ピットコム」の運用担当をされる優秀な方です。
編成部での仕事について
大変だが、いろいろな経験ができて面白いし、やりがいがある
引用:JIJI.COM
とコメントされています。
大谷翔平と山本由伸の通訳を務める
2024年3月21日のパドレス戦からウィル・アイアトンさんが大谷翔平さんの通訳を務める事が決まりました。
将来はGMが目標
ウィル・アイアトンさんはドジャーズの上層部からの評価も高い人で、2024年2月にはドジャースの幹部の人達と一緒に侍ジャパンを視察する為に来日をされています。
通訳からここまで重要な役割を任せらる人はかなり稀だそうです。
そんなウィル・アイアトンさんは、将来GMを目標とされています。
まだまだ経験や知識は足りないですけど、いつかGMになってみたいですね。
最近は編成だけではなく、トレーナーやストレングスの勉強をさせてもらっていますし、選手の評価、スカウティングの部分も興味深いですし、そちらも勉強していきたいです。そういうものをしっかり把握していきながら段階を進んでいければと思っています引用:JIJI.COM
以上が、ウィル・アイアトンさんの経歴や学歴に関する記事ですね。
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